国宝 彦根城 Hikone Castle

彦根城について

1国宝 彦根城天守、
(つけ)(やぐら)及び多聞(たもん)(やぐら)

天守は3階3重の屋根で構成されています。屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。

大津城から移築されたといわれ、政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れています。昭和27年(1952年)に国宝に指定。

彦根城以外の国宝天守は、姫路城・松本城・犬山城・松江城だけです。

夜間はライトアップされ彦根市のランドマークとして市民に親しまれています。

2重要文化財
彦根城西の丸三重櫓(さんじゅうやぐら)及び続櫓(つづきやぐら)

西の丸の西に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切が設けられています。西方の搦め手(裏手)からの敵に備えた守りの要でした。三重櫓は、この搦め手を見下ろす位置に設けられ平時には琵琶湖を監視する役目もありました。

3重要文化財
彦根城太鼓門(たいこもん)及び続櫓(つづきやぐら)

天守がある本丸表口をかためる櫓門で、城内合図の太鼓を置いたところから名付けられたと言われています。建物の背面が解放され、高欄付きの廊下となっており、櫓では大変稀な構造となっています。なお、解体修理に伴う部材調査によりどこかの城門を移築したものであることが判明しています。

4重要文化財
彦根城天秤櫓(てんびんやぐら)

大手門と表門からの両坂道を登りつめたところにあります。目の前の廊下橋は戦時には落とすと伝わり、表門山道、大手門山道を上がってきた敵兵が天秤櫓の高い石垣を登らないと本丸へ侵入できませんので重要な拠点となります。この廊下橋に接続する櫓門部分を中央に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対称となっており、天秤櫓の名の由来となっています。他の城から移築したものと考えられます。建物土台の石垣は向かって右側が築城当時の打込みハギ積み、左側が江戸時代後期の改修による落とし積みとなっています。

5時報(じほう)(しょう)

城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。

幕末期12代藩主直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造のさい大量の小判が投入されました。

隣接する聴鐘庵は茶屋として薄茶(お菓子付¥500)を楽しむことができます。(9:00〜16:00)

6観音台(かんのんだい)

養老4年(710)近江の国司藤原房前(ふささき)によって、彦根山に一寸八分の観音像を本尊とした彦根寺が建立されました。金の亀に乗った観音さまを安置する御堂があったといわれています。

観音さまについては目に御利益があると言われ、そのうわさは京にも広まり、白河上皇や大臣はじめ多くの人が彦根山観音に参詣されたと言い伝えがあります。

7山崎郭(やまざきかく)(山崎曲輪跡)

木俣屋敷があった場所で、凱旋した井伊直孝を迎えた場所といわれています。かつて山崎門がありました。

訪れる人は少ないですが、木々に囲まれ静かな空間がぽかりと広がり、こころ安らぐ場所です。

四季を通してのんびりと美しい場所。

8梅林(ばいりん)

かつて、彦根城の公儀御用米の米蔵があった場所。
例年は、3月中旬から下旬にかけて、紅梅・白梅など約450本が春の訪れを告げます。

彦根城が新日本観光地百選に選ばれたのを記念して、この梅は植えられました。

9重要文化財
馬屋(うまや)

藩主などの馬21頭がつながれていたといわれ、城内に残る馬屋は全国でも彦根城にしかない珍しい建物です。平成27年度に二度目の本格的な文化財保存修理を終え、往時の姿を取り戻したこけら葺きの屋根が美しい馬屋です。

10名勝 玄宮園(げんきゅうえん)

玄宮園は下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっていました。武蔵野から眺める手前の池、中ほどに鳳翔台(茶席)遠方上部の天守がバランスがとれた絵葉書的景色で皆様を楽しませます。また紅葉をはじめとする、玄宮園内の木々や草花が四季折々の表情を見せています。

11鳳翔台(ほうしょうだい)

鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所、という意味で名付けられたと伝える恰好の高台です。「鳳翔台」の名は、江戸時代に描かれた「玄宮園図」に玄宮園十勝(名勝10箇所)の1つとして描かれています。絵図には高台の下に華やかに飾った舟も描かれており、時には舟遊びに興じることもありました。

12名勝 楽々園(らくらくえん)

現在、楽々園と呼んでいる範囲は延宝5年(1677)に4代直興によって造営されたと伝わる下屋敷の範囲であり、江戸時代には「槻御殿」などの名前で呼ばれていました。この槻御殿は下屋敷であると同時に「隠居所」としても使用され、13代直弼は隠居していた11代直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。槻御殿については平成17年度より歴史的建造物の保存修理事業を実施しています。

13重要文化財
彦根城二の丸佐和口(さわぐち)多聞(たもん)(やぐら)

佐和口に向かって左に伸びる多聞櫓。明和4年(1767)に火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。明治になって、櫓門は失われましたが、本来はその右に伸びる多聞櫓(現開国記念館)と一体のものです。

※現在非公開

14いろは松

表門橋に向かう中濠の沿道の松並木で47本あったのでこの名が付けられました。

現在34本(補植12本)残り、当時の面影が偲ばれる通りです。

第3代井伊直孝が、諸国から取り寄せた竹木を城内に移植する際に、通行の妨げにならないように、根が地上に出ない土佐松が植えられています。

15埋木舎(うもれぎのや)

井伊直弼が青春時代を過ごした舎。

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。徳川幕府の大老として開国の父となった才能はここで培われたといわれます。

市指定文化財
旧池田屋敷長屋門(ながやもん)

旧彦根藩の中級武家屋敷の典型をなす長屋門として、昭和48年(1973年)に彦根市の指定文化財に指定されました。平成21年度から3年を費やして、全解体修理を実施。中には馬をつないでいた馬屋部分もご覧いただけます。

彦根城いまむかし

400年前に建てられた彦根城。その歴史と現在についてご紹介します。

彦根城の歴史

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。

当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。

天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。

直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

解体寸前だった彦根城

彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。

一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。 また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。

彦根城の今

近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝です。

彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。

彦根城花暦

彦根城花暦

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